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丹後・金剛院の仏像/七体の仏像(すべて重文指定)のうち少くとも阿弥陀如来・増長天・多聞天の三体は美福門院の寄進という縁起にかかわるもの
商品原始頁面
商品售價 |
1,280
296
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已售完
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商品狀態 | やや傷や汚れあり |
1986年13ページ
はじめに
丹後の金剛院は、舞鶴湾に口を開いた谷の奥にある。寺伝の縁起は、この寺の開基 高岳親王と伝えている。
親王は、平安初頭の薬子の乱にまきこまれて皇太子の地位を失い、出家して真如と号し、師の空海にならって唐に渡り、さらにインドに渡ろうとしたが、途中で消息を絶った。
高野山の親王院や京都の西芳寺など、数少い親王ゆかりの寺の一 つとして注目される丹後の金剛院は、平安末に、白河天皇や美福門 院(鳥羽天皇の皇后)によって再興されたと伝えられる。
このたび展示される七体の仏像(すべて重文指定)のうち、少くとも阿弥陀如来・増長天・多聞天の三体は、美福門院の寄進という縁起にかかわるもののようであり、また執金剛神と深沙大将も、高野山から移されたとすれば、美福門院の縁につらなるものではないかとも見られている。貴重な寺宝の陳列に全面的な御協力をいただいた金剛院住職松尾法空師の御厚意に対して、心から御礼を申し上げたい。
京都国立博物館長 上山春平
表紙小傷、小汚れ。ご理解の上、ご購入下さい。もちろん読む分には問題ありません。
なお細部に至るまではチェックしきれない場合がありますので、書き込み・線引き・記名・蔵書印・値札等ある場合があります。
また複数冊ご購入いただいた場合同梱発送を予定しております。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
はじめに
丹後の金剛院は、舞鶴湾に口を開いた谷の奥にある。寺伝の縁起は、この寺の開基 高岳親王と伝えている。
親王は、平安初頭の薬子の乱にまきこまれて皇太子の地位を失い、出家して真如と号し、師の空海にならって唐に渡り、さらにインドに渡ろうとしたが、途中で消息を絶った。
高野山の親王院や京都の西芳寺など、数少い親王ゆかりの寺の一 つとして注目される丹後の金剛院は、平安末に、白河天皇や美福門 院(鳥羽天皇の皇后)によって再興されたと伝えられる。
このたび展示される七体の仏像(すべて重文指定)のうち、少くとも阿弥陀如来・増長天・多聞天の三体は、美福門院の寄進という縁起にかかわるもののようであり、また執金剛神と深沙大将も、高野山から移されたとすれば、美福門院の縁につらなるものではないかとも見られている。貴重な寺宝の陳列に全面的な御協力をいただいた金剛院住職松尾法空師の御厚意に対して、心から御礼を申し上げたい。
京都国立博物館長 上山春平
表紙小傷、小汚れ。ご理解の上、ご購入下さい。もちろん読む分には問題ありません。
なお細部に至るまではチェックしきれない場合がありますので、書き込み・線引き・記名・蔵書印・値札等ある場合があります。
また複数冊ご購入いただいた場合同梱発送を予定しております。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
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