《品切稀少本》
美のみち
瀬戸内 寂聴
平凡社
定価: ￥ 900+税

#瀬戸内寂聴 #本 #日本文学／評論・随筆

移りゆく心の様、旅のなつかしさのなかで目にした美など、日本人の機微に触れた事柄が清澄な文体で綴られる。紀行文の珠玉を厳選した「寂聴紀行文集」の掉尾を飾る一書。
解説＝平野啓一郎



『源氏物語』は小説である。あくまでこれは紫式部の創作であって、いくらかの創作意欲を傾けたモデルがあったとしても、これは歴史書ではなく、れっきとしたフィクションである。そうとわかっていながら、紫式部の筆から生まれた作中の人物たちは、まるでたしかに実在していた歴史上の人物のように、否、実在の歴史上の人物よりももっとたしかなリアリティをもって、いきいきと読者の胸に棲みついてしまうのである。
藤原道長や、一条帝や中宮定子や、清少納言や紫式部が実在したように、光源氏や頭中将(とうのちゅうじょう)や、藤壺や紫の上や六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)も、生きて、恋して、悩み、病み、死んでいった実在の人として、読者の記憶に棲みついてしまうのである。
これはひとえに、紫式部の天才がなせる文学のまやかしの魔法である。

「いづれの御時にか」という書出しで、時代をぼかしているけれども、『源氏物語』を争って読んだ当時の宮廷の人々は、それを現代小説として受けとったであろうし、内心モデルをあてはめたりして愉しみ、興を深めていたことであろう。紫式部は、小説にリアリティをもたせるために、人の服装は当然のこと、その地名も舞台もすべて、実在のものを用いている。
『源氏物語』にゆかりの地名をもとめて歩いていたら、いっそう、小説の世界が歴史の世界のように錯覚されてくる。源氏のつくった壮大な六条院や二条院はこのあたりと、京都の町を歩くの興があるが、さいわい京都は賀茂川も嵯峨も、叡山も、鞍馬もそのままだから、千年前に比べて交通が便利になりすぎたとはいえ、昔のおもかげをさぐることができる。
しかし、五十四帖中、最も、舞台と物語の趣が相俟って興趣を高めている点では、「宇治十帖」が最高だろう。

〈「宇治紀行―浮舟の悲劇を追って」
　　　　　　　　　　　　　　より〉



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