新書「人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」 篠田 謙一
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2006年に実用化され始めたDNA分析の手法、次世代シーケンサーはPCR検査の手法を用いたもので、サンプルに含まれるすべてのDNAを読み込んで解析することが可能となるとのこと。それまで古い人骨はミトコンドリアDNA分析しかできなかったため母系でしか先祖をたどることができなかったが、父系でも可能となった。それを象徴するのが2022年のノーベル賞受賞ペーボ博士で、古人骨に残るわずかなDNA抽出と解析技術を確立したことによるものだった。本書ではそうした古代DNA研究の最新研究結果をもとに人類の起源をたどる。
日本に関係する分析では、従来の縄文人と弥生人の二重構造モデルは単純化されすぎており、縄文時代の列島住民には大きく二種類が存在し、北方大陸沿岸、サハリン由来の狩猟採集民と、南方琉球諸島経由の狩猟採集民とに分類できる。核ゲノム分析によれば、現代日本人の都道府県別分析の結果では、縄文時代の列島人に近い遺伝子を持つのは東北地方岩手、青森と鹿児島に多く、次いで秋田、宮城、茨城、それと南部九州、山口であるという。逆に弥生時代の渡来人に近いのが滋賀、京都、奈良、和歌山、徳島、高知、愛媛であり、きれいに分かれている。日本列島に現生人類が到達したのは4万年前で、ミトコンドリア分析によれば、ハプログループN9bに属するのが東日本から北海道、M7aに属するのが西日本から琉球諸島である。つまり縄文時代の日本列島には複数のハプログループに属する人類が共存し、その後朝鮮半島や大陸南部から稲作と金属器を携えた渡来民たちが数百年に亘ってたびたび移り住んできたということ。またその移動は一方向ではなく、朝鮮半島南部と西日本の日本海側では人々は何度も行き来していたことが示されている。
現代人のDNAには、M7aが7.5%、N9bが2.1%含まれているという。縄文時代の人口はN9bの方が多数を占めていたが、西日本から来た渡来人が従来の縄文人たちを西から吸収する形で飲み込んでいったことが分かる。弥生人の到来は約3000年前からであり、稲作は北九州から東日本まで約800年をかけて浸透していった。弥生人と従来からの縄文人たちの混合は約1000年をかけて起こり、稲作と金属器の広がりとともに列島の人口は増えていった。
2023年2月11版
定価: ¥ 960
#篠田謙一
#新書大賞2位
#本 #歴史/世界史
日本に関係する分析では、従来の縄文人と弥生人の二重構造モデルは単純化されすぎており、縄文時代の列島住民には大きく二種類が存在し、北方大陸沿岸、サハリン由来の狩猟採集民と、南方琉球諸島経由の狩猟採集民とに分類できる。核ゲノム分析によれば、現代日本人の都道府県別分析の結果では、縄文時代の列島人に近い遺伝子を持つのは東北地方岩手、青森と鹿児島に多く、次いで秋田、宮城、茨城、それと南部九州、山口であるという。逆に弥生時代の渡来人に近いのが滋賀、京都、奈良、和歌山、徳島、高知、愛媛であり、きれいに分かれている。日本列島に現生人類が到達したのは4万年前で、ミトコンドリア分析によれば、ハプログループN9bに属するのが東日本から北海道、M7aに属するのが西日本から琉球諸島である。つまり縄文時代の日本列島には複数のハプログループに属する人類が共存し、その後朝鮮半島や大陸南部から稲作と金属器を携えた渡来民たちが数百年に亘ってたびたび移り住んできたということ。またその移動は一方向ではなく、朝鮮半島南部と西日本の日本海側では人々は何度も行き来していたことが示されている。
現代人のDNAには、M7aが7.5%、N9bが2.1%含まれているという。縄文時代の人口はN9bの方が多数を占めていたが、西日本から来た渡来人が従来の縄文人たちを西から吸収する形で飲み込んでいったことが分かる。弥生人の到来は約3000年前からであり、稲作は北九州から東日本まで約800年をかけて浸透していった。弥生人と従来からの縄文人たちの混合は約1000年をかけて起こり、稲作と金属器の広がりとともに列島の人口は増えていった。
2023年2月11版
定価: ¥ 960
#篠田謙一
#新書大賞2位
#本 #歴史/世界史
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