モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平 批評空間 臨時増刊号
商品原始頁面
商品售價 |
7,450
1,692
|
已售完
|
|
商品狀態 | やや傷や汚れあり |
モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平 批評空間 臨時増刊号
発行日:1995年3月20日
浅田彰+柄谷行人による季刊誌『批評空間』の臨時増刊号として刊行されたモダニズム芸術論の特集号。
構成としては、浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫の編集委員三氏に磯崎新らを交えたディスカッションをはじめ、C・グリンバーグ、M・フリード、T・J・クラーク、R・クラウスらの英米系のモダン/ポストモダンを代表する論客のテクストが数多く掲載されている。同特集に翻訳掲載されたテクストの大半は、モダニズム芸術論の「教科書」とも呼ぶべき必読文献だが、美術専門誌ではない『批評空間』の特集号がその翻訳の初出であった事実は、日本の美術ジャーナリズムにおいて本格的なモダニズム論が長らく不在であったことを逆説的に明らかにした。その意味では、序文にある「日本の芸術実践の環境において、最も深く欠如しているものは、おそらく、その批評の次元に他ならない」との記述が意味するものは軽くない。編集方針にいささか読者を限定するきらいがあるとはいえ、ポストモダニズムの喧噪が過ぎ去った後、あらためてモダニズムを再考するための格好の手引きとなっている。
グリーンバーグ「モダニズムの絵画」(1960)、フリード「芸術と客体性」(1967)、クラウス「視覚的無意識」(1993)[同名の著書の部分訳]をはじめとするモダニズムの主要文献を訳出するとともに、磯崎新×柄谷行人×浅田彰×岡崎乾二郎による共同討議「モダニズム再考」、および松浦寿夫、田中純らによる論考を収録している。この特集は、いまだその理論的な側面が十分に紹介されていなかった20世紀のモダニズムをめぐる言説をあらためて日本に導入することで、すでに「ポストモダン」が喧伝されて久しかった当時の美術業界に大きな一石を投じた。そのインパクトは今日においてもまったく失われておらず、日本語で読める文献としては、文字通りグリーンバーグ以降のモダニズムの「ハード・コア(中核)」について知るための最重要文献のひとつでありつづけている。
経年による汚れやあります。底の部分に汚れがあります。
古書であり素人保管してため、神経質な方はご購入をお控えください。
発行日:1995年3月20日
浅田彰+柄谷行人による季刊誌『批評空間』の臨時増刊号として刊行されたモダニズム芸術論の特集号。
構成としては、浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫の編集委員三氏に磯崎新らを交えたディスカッションをはじめ、C・グリンバーグ、M・フリード、T・J・クラーク、R・クラウスらの英米系のモダン/ポストモダンを代表する論客のテクストが数多く掲載されている。同特集に翻訳掲載されたテクストの大半は、モダニズム芸術論の「教科書」とも呼ぶべき必読文献だが、美術専門誌ではない『批評空間』の特集号がその翻訳の初出であった事実は、日本の美術ジャーナリズムにおいて本格的なモダニズム論が長らく不在であったことを逆説的に明らかにした。その意味では、序文にある「日本の芸術実践の環境において、最も深く欠如しているものは、おそらく、その批評の次元に他ならない」との記述が意味するものは軽くない。編集方針にいささか読者を限定するきらいがあるとはいえ、ポストモダニズムの喧噪が過ぎ去った後、あらためてモダニズムを再考するための格好の手引きとなっている。
グリーンバーグ「モダニズムの絵画」(1960)、フリード「芸術と客体性」(1967)、クラウス「視覚的無意識」(1993)[同名の著書の部分訳]をはじめとするモダニズムの主要文献を訳出するとともに、磯崎新×柄谷行人×浅田彰×岡崎乾二郎による共同討議「モダニズム再考」、および松浦寿夫、田中純らによる論考を収録している。この特集は、いまだその理論的な側面が十分に紹介されていなかった20世紀のモダニズムをめぐる言説をあらためて日本に導入することで、すでに「ポストモダン」が喧伝されて久しかった当時の美術業界に大きな一石を投じた。そのインパクトは今日においてもまったく失われておらず、日本語で読める文献としては、文字通りグリーンバーグ以降のモダニズムの「ハード・コア(中核)」について知るための最重要文献のひとつでありつづけている。
経年による汚れやあります。底の部分に汚れがあります。
古書であり素人保管してため、神経質な方はご購入をお控えください。
其他推薦商品: