『ラバウルの魔王』
西澤廣義 海軍中尉
昭和17年2月 トラック島から空母にてラバウル基地へ進出
昭和17年4月1日から台南航空隊(第25航空戦隊)に配属
昭和17年5月17日 ポートモレスビー・セブンマイル飛行場上空にて台南三羽烏の三機編隊三回宙返を披露する(坂井三郎 談)
昭和17年6月 ミッドウェイ海戦
昭和17年8月17日 ガダルカナル島攻撃が始まる(坂井三郎はこの日負傷し内地へ送還され、西澤が先任下士官となる)
昭和17年11月1日 台南空は第251海軍航空隊と改称され、西澤はその後豊橋へ帰還する
零戦22型は、昭和17年末より生産開始され、昭和18年8月までに約560機が生産される
昭和18年4月18日 山本五十六司令長官がブーゲンビル島で戦死する
昭和18年5月10日 西澤は、ラバウルへ再進出し、この頃より鴛淵 孝(オシブチ タカシ)(後に松山343空第701・維新隊の隊長として紫電改に搭乗する)中尉の戦闘教育を任せられる
昭和18年10月 再び内地へ帰還し、11月1日より大分空にて教官を務める
昭和19年3月1日より203空に配属され、7月10日より303飛行隊に所属し北千島方面の防衛にあたる
昭和19年10月に捷一号作戦のため、フィリピン・マバラカット基地へ進出し、10月25日に関 行男少尉を隊長とする神風特別攻撃隊「敷島隊」の直掩にあたる
昭和19年10月26日 セブ基地からマバラカット基地へ帰還するために搭乗した輸送機が撃墜され戦死する
今まで私は、昭和18年5月7日に吉田 一氏が撮影した「ソロモン諸島上空を飛行する零戦22型(UI-105)」がラバウルでの西澤廣義飛曹長の搭乗機と思って来ましたが、ラバウルへ再進出したのが5月10日で零戦22型の生産時期からすると、西澤が台南空で搭乗した零戦は21型だったのではないかと再認識しました
タミヤ 1/48 三菱 零式艦上戦闘機22型
ソロモン諸島上空を飛行するラバウル航空隊零戦22型をモデルに
マイクロモーター(6mm)と
電池BOX(LR44)+SWを組み込んで、プロペラアクション仕様で製作してみました。
西澤廣義 海軍中尉
昭和17年2月 トラック島から空母にてラバウル基地へ進出
昭和17年4月1日から台南航空隊(第25航空戦隊)に配属
昭和17年5月17日 ポートモレスビー・セブンマイル飛行場上空にて台南三羽烏の三機編隊三回宙返を披露する(坂井三郎 談)
昭和17年6月 ミッドウェイ海戦
昭和17年8月17日 ガダルカナル島攻撃が始まる(坂井三郎はこの日負傷し内地へ送還され、西澤が先任下士官となる)
昭和17年11月1日 台南空は第251海軍航空隊と改称され、西澤はその後豊橋へ帰還する
零戦22型は、昭和17年末より生産開始され、昭和18年8月までに約560機が生産される
昭和18年4月18日 山本五十六司令長官がブーゲンビル島で戦死する
昭和18年5月10日 西澤は、ラバウルへ再進出し、この頃より鴛淵 孝(オシブチ タカシ)(後に松山343空第701・維新隊の隊長として紫電改に搭乗する)中尉の戦闘教育を任せられる
昭和18年10月 再び内地へ帰還し、11月1日より大分空にて教官を務める
昭和19年3月1日より203空に配属され、7月10日より303飛行隊に所属し北千島方面の防衛にあたる
昭和19年10月に捷一号作戦のため、フィリピン・マバラカット基地へ進出し、10月25日に関 行男少尉を隊長とする神風特別攻撃隊「敷島隊」の直掩にあたる
昭和19年10月26日 セブ基地からマバラカット基地へ帰還するために搭乗した輸送機が撃墜され戦死する
今まで私は、昭和18年5月7日に吉田 一氏が撮影した「ソロモン諸島上空を飛行する零戦22型(UI-105)」がラバウルでの西澤廣義飛曹長の搭乗機と思って来ましたが、ラバウルへ再進出したのが5月10日で零戦22型の生産時期からすると、西澤が台南空で搭乗した零戦は21型だったのではないかと再認識しました
タミヤ 1/48 三菱 零式艦上戦闘機22型
ソロモン諸島上空を飛行するラバウル航空隊零戦22型をモデルに
マイクロモーター(6mm)と
電池BOX(LR44)+SWを組み込んで、プロペラアクション仕様で製作してみました。
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