悪の哲学 ちくま哲学の森 3

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ちくま哲学の森 3 (悪の哲学)
森 毅 / 安野 光雅 / 井上 ひさし
定価: ¥ 1200+税

#森毅 #安野光雅#井上ひさし#本#日本文学/評論・随筆

鶴見俊輔
1922−2015年。哲学者。1942年、ハーヴァード大学哲学科卒。46年、丸山眞男らと「思想の科学」を創刊。65年、小田実らとベ平連を結成。2004年、大江健三郎らと「九条の会」呼びかけ人となる。著書に『アメリカ哲学』『限界芸術論』『アメノウズメ伝』などのほか、エッセイ、共著など多数。『鶴見俊輔集』全17巻もある。

うまれた時から私に哲学があったはずはない。しかし、あったようにも思える。
いきをする。手足をうごかすとたのしい。はらがへるとかなしい。口で乳をすう。うまくすえないと、何度も、やりかたをかえてさがしてはすう。さがすというしぐさは、私のおわりまでついてまわりそうだ。
すい口を見失ってしまう。すでにはらがすいているので、たよりなく、苦しい。これは悪だ。
第一の悪。これは、自分が苦しいところと定義できる。
やがて、もうひとつの悪がくわわる。それは、しかられるということだ。しかられることのつみかさねが、第二の悪の場所をつくる。それは、私の内面にしっかりとできてしまう。
しかられる私。――悪い私。私はしかられてそだったので、内面から見た自分はまぎれようもなく、悪人だった。まだ世の中を見わたす力をもっていないから、自分の他に悪人がいたかどうかは知らない。すくなくとも私は、母親という正義の巨人に対する小さい悪人だった。
巨人の言うとおりに手足をうごかしているのは、つらい。自分なりに手足をうごかしたい。どなりたい。自由に生きたい。そこで、悪人として自由に生きるたのしみが湧いてくる。
悪人のたのしみは、たしかにある。
〈鶴見俊輔「三つの悪」
       解説にかえて より〉



………、善人とは、つねに善を欲して悪をなす人間であるかもしれず、逆に、悪人とは、つねに悪を欲して善をなす人間であるかもしれず――いや、そもそも善だとか、悪だとかいうものは、ラ・ロッシュフコオ風にいうならば、あらゆる河が海のなかにすがたを消してしまうように、利害関係のなかにすがたを消してしまうものにほかならないのである。
〈花田清輝「マザー・グース・メロディー」より〉
(質問合計:0件)
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cyndi0082
2017-06-10 10:01
テレビ付きですか?
chan_ta55
2017-06-12 18:41
ご質問ありがとうございます。地上デジタル・BSデジタル・110度CSデジタル放送対応(4チューナ搭載)です。ご検討の上、よろしくお願いいたします。
savugaz1985917
2017-06-11 12:24
テレビ付きですか?
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